代表メッセージ

摂食障がい心の居場所「たちあおい」は、摂食障がいっ子が集える場所と交流を目指して2013年10月に立ち上げた摂食障がい当事者団体です。

代表自己紹介

渋谷哲生

渋谷 哲生(しぶや てつお)(20代)

1990年12月25日生まれ

中学まで、野球を行っていました。高校を1ヶ月で中退をしてから通信制の高校に行くまでの間で、昼夜逆転の生活。食生活の乱れ。運動不足。などが要因で、今まで全く気にしていなかった体重というものが周りからの指摘で気になるようになりました。

中退もした劣等感から、ダイエットを行うようになり、学校もほぼ行かないようになり「体型」だけが唯一自信を持てるもの。自己を確立できるものになっていった。高校の3年生のときに、カウンセラーに行き自分が「摂食障がい」ということを知り、社会と関わらない免罪符を得たと安堵しました。

高校時代は、痩せたい体型の「母親」が比較対象で動く時間を同じに、食事量を少ないものにし、なるべく動いてカロリー消費を減らしてほしいと考えていました。

また、野球を辞めてから、ダイエットの気分転換のため、キャッチボールやバッティングセンターに行くことをしたが、すべて「ダイエットの為」という思考の変化に悲しくなる。同時期に、友人との食事も苦痛になり疎遠に。

ある時、最寄りの駅まで歩いているとき。「あっ、みんなは目的があるから駅に行っているのに自分は何もない」という感覚に陥り、劣等感が最高潮。また、食事時間が変わること。自分の予測できない事態になることが恐怖の為、他人が自分の生活に入ることが怖くネットで知り合った人も居たが、自ら離れていきました。

高校のとき行けた場所が、秋葉原。オタクと言われている人達は、自分から見たら本当に尊敬できました。メディアなどで周りから変と言われても自分の好きなもの。着たい服を着て過ごしている様子は、「自分も生きてて良いのかな?」と思わせてくれました。

高校時代の最後にカウンセラーの紹介で半ば強制搬送された宮古島に1ヶ月ほど初の一人暮らしをしたときは、不安の連続でした。場所も知らない過ごし方もわからない。簡単に帰れない。食事を比べる相手もいない。自分で決めないといけないことが出てきた時、不安もありましたが、母親と比べないで済む自分が楽なこともありました。

その時お世話してくれたおばさんには今でも感謝をしていて、自分が他を受け入れない壁をつくって居たのにも関わらずその人は、簡単に超えてきてくれました。なんか人間らしい関わりだな。と思い一番救われた実感があった人との出会いでした。

高校卒業後、専門学校に行きました。未だ、同年代との関わりが怖く人がたくさん居る大学には行けず、宮古島での料理をしたとき初めて食のことを考えてしまう自分を受け入れられたことから、料理の専門学校に行きました。

ですが、半年で中退。それは、そもそも作った料理が食べられない。帰宅時間を帰宅ラッシュから避けたく放課後の授業に出たくないという勝手。都内まで通うのができなくなる。そして、半年で休学、翌年復学しましたが、文化祭にて同年代の明らかに自分よりも身長が小さい女性が笑顔で焼きそばを食べていることに衝撃を受けて、「あれ?自分も食べて良いんじゃないか?」と思い自宅に帰り家にあるものを食べ尽くしました。

そして、約1ヶ月で高校時代からキープしていた体重が戻りました。そして専門学校中退をしました。

それから、半年ほどは何もしていない時期を過ごしましたが、「学生」という後ろ盾が無くなりバイトしか選択肢が無くなってからは、「とりあえず働こう」と考えて「お菓子屋の接客バイト」を行いました。

太ったことで外見への劣等感がありましたが、人間関係の練習ということで選んだ接客バイト。

今まで何度も辞めてきたバイトで初めて続いたものでした。「あっ。最初から完璧に何でもこなそう。」と思い込んでいたんだ。と気づくことができました。

このバイトでは何もかも初めて。

「女性がほとんどの割合を占める職場で働くこと」「人前に顔を晒すこと」「他店舗にいくこと」「都内まで荷物を取りにいくこと」「怒られること」

何年か人間関係を排除してきた弊害を感じました。そして、誰かの為と思える職場に出会えたからこそ、「自分の中での限界を上げる」ことができました。

「夜の時間帯も働けるようになったこと」「もっと職場の役に立ちたい」「誰かの為なら自分で作った無理を壊せる」

仕事って単にお金だけじゃないんだ。ということを気づかせてくれる職場でした。

このときから、少しづつ芽生えてきた感情。

もっと自分ができることって何かあるんじゃないか?という感情。

世の中に対して何かしたい。という感情。

自分の経験を通してできること。そして販売の経験を通して感じた達成感を一緒に味わえる仕事をしたい。職場も1つの居場所になる。と思い「摂食障がい人達と働ける場所をつくる」と考えました。

そして「自助グループ」というものを知りました。

先ずは、そこから作る必要があると思いました。

クローズな場所ということで安全に過ごせてる。そして安心して自分の気持ちを話せる穏やかな空間。

そんな空間をつくりたいと思い、”たちあおい”をつくりました。

10代のとき、自分が抱えていた将来への不安。可能性を感じれない辛さ。孤独感を味わったからこそ、「孤独」の辛さを持っている人達を放っておけない気持ちでいます。

だからこそ、「多様な空間」をつくっていきたいと考えています。

”たちあおい”は、今までお世話になった方々への恩返しとして自分ができることをしようと思った形であり、今現在”摂食障がい”で悩んでいる人が孤独にならないで生きれるようになってほしいという思った形であり、評論家のように対岸の火事としてではなく当事者意識を持ち上がら「摂食障がい」を考えたいと思った形です。

夢ではなく大きな志を持ち生きていきたいという現れが”たちあおい”という形を生んでくれました。

こうして生きる活力。生きる意味を考えるキッカケをくれた”摂食障がい”や様々な失敗に今は本当に感謝しています。